はじめに
8月1日と2日にかけて、北アルプスの燕岳に登ってきました。登山中の経験や感じたことを通じて、時間の効率化や生産性、そしてその時間の意味について考える機会がありました。日常の喧騒から離れ、自然の中でのんびりとした時間を過ごすことで、普段の生活では見逃してしまうような大切なことに気づくことができました。
- 山に登って何が変わるの?
- 自分の時間の使い方について悩んでいる
頑張っているんだけど、何か空回りしてしまっていた私のお話です。
燕岳登山と感じたこと:時間の意味と生産性について
7月の下旬、私はいろんなものに追われていた。8月1日から燕岳に行く予定なのに、その準備もほとんどできていない。
その前に、自分の心の余裕のなさから、心からこの日を楽しみにすることができていなかったのかもしれない。
天気は快晴!絶対優勝の景色が待っている!楽しみではあったけれど、それ以上に自分の心は余裕がなかった。
あれもこれもと追われているのは、誰のせいでもない自分だ。自分の予定を組むのも自分だし、前日の7月31日の夜に大阪を出発することはだいぶ前から決まっていたこと。
それなのに、勝手に締切に追われ、31日は派遣のバイトを入れるという・・・。
私は、いったい何に追われているのだろう。私は、いったい何のために頑張っているのだろう。
出発前日の30日は、登山の準備や、期限のある提出物の準備などに追われ、睡眠時間を削り、早朝からバイトに行く。
・・・山小屋でいっぱい寝られるかな・・・
仕事を辞めてフリーになったのに、やっぱりギリギリの毎日。なんで私はいつもこんな感じになるんだろう・・・
時間の効率化と生産性への意識
フリーランスとして働いていると、時間の使い方や生産性について意識することが多くなります。正社員のように自動的にお給料が入ってくるわけではないので、自分の時間を無駄にしないようにしようと、常に効率を考えてしまう。
そうはなりたくないと思っていながらも、いつの間にか心に余裕のない人間になっていました。
去年は、山で遊びたい!と仕事を辞めたはずなのに、何か別のことをやるべきではないかと考え、山に行く時間が減ってしまった。山を素直に楽しめなくなっている自分。フリーランスで、自分を売って、稼いでいくことに焦りを感じていたのかもしれません。
この時間に生産性があるのか?山って何でも時間がかかるし、効率が悪いアクティビティー。何で私は山に登っているだろう・・・。
登山中の解放感
しかし、実際に山に登ってみると、スマホをほとんど見ず、YouTubeやインスタもXもチェックしなくていい。癖でスマホを開いても、電波が悪いし、充電の電気も山では大切だらか見る機会も減ってくる。
日常でスマホやパソコンに向かっていたけれど、山の中では目の前の自然に集中することが、自動的にできる。デジタルデトックスだな。
登山口をスタートすれば、仲間と楽しく登ること自体が目的であり、その先にある景色や仲間との時間が何よりも大切でした。特に、山頂で見る日没やその後のマジックアワー、日の出を待つ時間は、ただただ空をぼーっと見つめる時間があり、その瞬間がとても貴重に感じられました。
下界にいたら、この時間をきっともったいないと思うのかな。
今、ただただ空を見て、空の色が変わっていく様子を見るだけの時間。なんて贅沢な時間だんだろう・・・
山の中での生産性とは何か
山にいると、生産性という概念が少し違って見えてきます。
生産性とは、投入した資源に対してどれだけの成果を生み出すかを示す指標。そう考えると、投入した資源(時間)、つまりマジックアワーを待つ時間に、下界ではなんの生産性もないように見える。だから普段、空の色が変わるのをずーっと見ることもないだろうし、見るきっかけもないような気がします。
しかし山の中では違います。空を見つめる時間や仲間と話す時間、それらが無駄ではなく、むしろ豊かな時間だと感じました。
最幸に贅沢な時間だ。
なんでも、効率や、この時間、そしてこの文字にすら生産性や意味を持たせようとするような目まぐるしい日常。普段の生活では、生産性のない行動とされるかもしれない時間が、山の中ではとても大切なものとして感じられるのです。
この時間を大切にしないと、心が失われてしまうかもしれない。日没後のマジックアワーを見ながら、そんなことを思っていました。
時間の優先順位の変化
実は燕岳登山前は、下山後すぐに特急で大阪へ、仕事の営業に戻ることを考えていました。元々、登山の予定で、営業には行けないかもしれない。でも、次の仕事につながるチャンスかもしれない!早く下山すれば、間に合わないわけでもない。
時刻表を調べ「もしかしたら、1人で特急で帰らせてもらうかも」
そう仲間に、事情を伝え話しを行きの車で話しをしていました。下山の時間や、大阪に戻る時間は伝えてはいませんでしたが、心の中で、帰るかどうかを思案している自分がいました。
しかし、山の中で過ごす時間が増えるにつれ、その優先順位が変わってきました。仲間との時間や自然の中での体験が、自分にとって非常に重要であり、今、私は急ぐ必要はないと感じました。
それでも、もし時間が間に合えば・・・なんて思ったり・・・
でも、下山する日の稜線からの景色からは離れ難かったし、下山の途中に仲間と色々な話しをしたり、自分のこれからについてを話したりする時間を削るのは、なんか違うなと。
「ぶっちゃけ、もう急いで大阪に戻るという気持ちはない。みんなとゆっくり下山して、お風呂入って、ご飯食べて帰る方がいいもんね」
下山後の予定を急がず、ゆっくりと楽しむことができました。逆に、みんなに気を使わせてしまって申し訳ない気持ちにもなりました。
まとめ
今回の登山を通じて、時間の効率化や生産性を追求するばかりではなく、時にはゆっくりとした時間を楽しむことが大切だと改めて感じました。山での経験は、日常生活の中でも大切にしたいと思う時間の過ごし方を教えてくれました。また、登山を通じて仲間との絆も深まり、これからも自然の中での時間を大切にしていきたいと思います。
家について翌日。自分の今の優先順位を改めて考える機会になりました。
フリーランスで生きていく。そう決めて、日々試行錯誤して生活している中で、のんびりする時間=無駄な時間。つまり、時間に生産性をいかに持たせるか?生産性のないものは辞めて、効率よくできる作業方法を考えていく。
確かに、自分の時間をどう使うかは重要である。
その中で、忘れては行けないこと。自分の大切にしたいことは何か?自分の時間をどう使うのか?
自分が幸せになるための時間の使い方をしていきたい。改めて感じた燕岳登山になりました。
今後の計画
今回の登山で感じたことをもとに、ブログを通じてさらに深めていきたいと思います。また、8月末には再び燕岳に登る予定ですので、その際にも感じたことをシェアしていきます。
さらに、人生の最終段階における医療やケアについての発信をしています。
豊かな人生の最期。最幸の人生の最期は、今の最幸の積み上げです。
一緒に歩いて、山を歩いてみませんか?あなたの知らない、新たな感情の変化、気づきに出会うかもしれません。
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